前回は、日本と大変縁のあったシドモア女史とポトマック川の桜について書いたが、もうひとつ、ワシントンで日本と縁のある場所といえば、なんといってもウィラード・ホテルである。
正式には「ウィラード・インターコンチネンタル・ワシントンD.C.」というこのホテルは、ホワイト・ハウスの近く、ペンシルベニア通りに建つ名門ホテル。ワシントンには、リッツ・カールトンやフォーシーズンズ・ホテルなど、近代的な素晴らしいホテルがあるのだが、その格調の高さにおいては、やはりウィラード・ホテルに並ぶものはないそうだ。
1818年に創業し、19世紀半ばに「ウィラード」と名を変えて以来、歴史・外交の舞台となってきたこちらのホテルは、「ロビイスト」という言葉の発祥の地としても有名だ。この言葉は、ウィラード・ホテルのロビーで葉巻を吸うことにしていたグラント大統領に、関係者が様々な陳情活動を行ったことに由来する。
大統領がなぜここで煙草を吸っていたのかというと、妻に「ホワイト・ハウスでの喫煙禁止!」と言い渡されていたからで、大統領にとっては、このホテルのロビーがちょうどいい近所の喫煙所になっていたというわけだ。
さて、そんなエピソードはともかく、ウィラード・ホテルと日本人との縁といえば、なんといっても1860(万延元)年、日米修好通商条約の批准書を交換するためにポーハタン号でやってきた初の遣米節使団である。残念ながら有名な咸臨丸はサンフランシスコまでのお供だったので、勝海舟や福沢諭吉らがワシントンに上陸することはなかったが、この時は新見正興、村垣範正、小栗忠順ら総勢77人が、ウィラード・ホテルの2階と3階に25日間滞在した。
上の三使が使ったのは、寝室が2つに、居間や応接間などいくつもの部屋が付属したスイート・ルーム。相部屋となった新見と村垣は、リビングの椅子を全部かたづけ、そこに座ぶとんを敷いて生活した。
また、ひねれば水が出る洗面所の蛇口や、「清めの水」であるシャワー、それに金属の輪を引っ張ると水が洗い流してくれる、清潔&快適な水洗トイレは大のお気に入り。それから150年後、そのトイレがガラパゴス化して、日本が世界に冠たるトイレ先進国になろうとは思いもよらなかったことだろう。
そんな彼らは、スミソニアン博物館も訪れている。当時の博物館では、世界中から集めた動物の剥製の他、生きたワ二なども展示しており、サムライたちが棒でつつくと、ワニは大きな口を開けたという。
チョンマゲ姿の遣米使節団。極東からきたこの珍客を見物することは、当時のアメリカ人にとっても一大イベントで、連日何百人という人々が、(場合によっては何千キロも離れた場所から列車に乗って)、ウィラード・ホテルにつめかけた。
あまりの騒々しさに時々日本人が窓から浮世絵や扇子などを投げると、人々はそれに我先に殺到したという。つまり、あのウィラード・ホテルの前で、節分の時に寺でよくやっている有名人の豆まきみたいな光景が繰り広げられていたことになる。
それからホテル前の商店では、ワシントンに巻き起こった日本ブームに便乗して、浮世絵や日本の蛇の目傘、(中国製の)扇子などを、あり得ない高値で売っていたが、どれもよく売れたそうである。
さて、このコラムを書くにあたり、資料を読んでいてちょっと面白いな、と思ったのは、遣米使節が訪れた時、ワシントンはまだ建築途中の都市だったということだ。
たとえば、当時、国会議事堂の屋根の上では、シンボルのドームを作っている真っ最中だったし、ワシントン記念塔も建築中。こちらの完成は、遣米使節の訪問から実に24年後(日本ではサムライの世はとっくに終了)のことである。そう考えると、彼らの見たワシントンは、私の見たワシントンとはずいぶんと違っていたことになる。
アート・ライター。現在「婦人公論」「マリソル」「Men’s JOKER」などでアート情報を執筆。
アートムック、展覧会音声ガイドの執筆も多数。