前回、モネの傑作群について紹介したが、その隣の部屋に行ってみよう。ここにズラリと並ぶのは、印象派とその周辺で活躍した女性アーティストの作品と、モネと並ぶ印象派の巨匠、ルノワールの作品だ。
女性作家は、マネの弟子で師匠のモデルとしても有名な美人のベルト・モリゾと、そんな彼女よりも実はマネが画家として認めていたと言われるエヴァ・ゴンザレス。そして、ドガと親しく交流したアメリカ人のメアリー・カサットである。
3人ともかなりのブルジョワジーなので、今回のテーマは「印象派のお嬢様たち」に狙いを定めて資料をあたってみたところ、ことのほかメアリー・カサットが面白い。というわけで、計画変更、本日は彼女を取り上げたい。
本展でインパクトのあるカサットの作品といえば、図録の表紙を飾る《青いひじ掛け椅子の少女》だろう。ピーコック・ブルーに輝くソファの色彩と、そこに座る少女の退屈そうな様子がかわいらしいこの作品は、1879年、第4回印象派展に出品された彼女の代表作である。生涯独身であったものの、彼女が描いた子どもや母子像は愛情たっぷり。また本展でも展示中の《浴女》や《入浴》のように、日本の浮世絵に影響を見ることができる斬新な構図の作品なども魅力的だ。
1844年、フィラデルフィアの株式仲買人の父と、実家が銀行家という母を持つカサットは、後に兄がペンシルヴァニア鉄道の社長になるような裕福な家庭の出身。「お嬢様の習い事」という枠を超えて絵を描くことに夢中になった彼女は、21歳の時、家族の反対を押し切って画家になるためにパリに向かい、ドガをはじめとする印象派のメンバーと積極的に交流した。そんな彼女の画家としての実力は前述したとおりだが、アメリカにおける印象派広報部長として重要性も見逃せない。
なぜならカサットは当時、フランス人にさえ認められていなかった前衛美術・印象派絵画の素晴らしさを、アメリカの富裕層の人々に広める役割を果たしたからだ。たとえば、「彼女がアメリカの友人たちに、さらにその友人の友人たちに、新しい芸術に投資するように助言を与え始めると、みんな彼女の言葉に耳を傾けた。フィラデルフィアのカサット家が推薦するものであれば――最初はいかに奇妙に見えようとも――尊敬すべき作品としてお墨付きになるのだ」(『印象派はこうして世界を征服した』フィリップ・フック著、中山ゆかり訳、白水社、2009年)ということだから、その影響力は絶大だった。
カサットの広報部長としての最初の成功例が、パリで世話をしたルイジーヌ・エルダーとのエピソードである。当時16歳だったルイジーヌは、パリの画廊でドガのパステル画を大変気に入り、同行していたカサットの勧めもあって、その作品を購入する。この16歳の少女が、お小遣いの100ドルで買ったドガのパステル画こそが、アメリカ人が購入した記録に残る印象派作品第1号だ。ちなみにこのルイジーヌ、数年後には砂糖王のH.O.ハヴメイヤーと結婚し、夫とともにアメリカ最大の美術コレクションを築くことになるのだが、カサットは印象派絵画の目利きとして、夫妻に様々なアドバイスを与え続けたという。
ながらくの間、私は、アメリカの印象派コレクションが充実しているのは、当時アメリカという国が若く、人々も美術の伝統や固定概念の縛られない自由な見方で作品を選ぶことができたこと、そしてそんな顧客に目を付けた画商のデュラン=リュエルが、アメリカで印象派を売りまくったことが原因なんだろう、ぐらいに思っていた。
が、自分の経験に引き寄せて考えてみれば、数千円のブラウスを買う時だって「お客様、お似合いですよ。これならちょっとしたお出かけの時もピッタリ!」なんて店員さんの言葉が背中を押してくれることがあるように、アート初心者が高額の(当時の印象派絵画は安い方だったとはいえ)美術品を買おうとしたら、まずはその道に精通したアドバイザーに意見を求めたくなるのは当然だろう。
そんな時、自ら印象派の画家として活躍し、アメリカ社交界に顔がきくカサット女史に「このモネ本当に素晴らしいわ。きっと今がお買い得よ」などと言われようものなら、「僕はバルビゾン派の方が好きだけど、印象派もイイのかも。彼らの作品はきれいだし、明るいし、わかりやすいし(←ワシントン・ナショナル・ギャラリーのキンバリー学芸員によると、これこそアメリカ人が印象派を好む理由)」という感じで、モネの《ルーアン大聖堂》お買い上げ、などということもあったのかもしれない。少なくとも、カサットの存在は、アメリカのコレクターたちが、フランスのように印象派に対する偏見で凝り固まることを回避するのに一役買ったことは確かだろう。
まさに、信頼と安心の印象派アメリカ支部広報部長、メアリー・カサット。ナショナル・ギャラリーの「これを見ずに、印象派は語れない」充実の印象派コレクションも、さかのぼればカサットが早い段階でアメリカに播いた美意識の種が実り、次第に裾野を広げた結果なのかもしれない。
アート・ライター。現在「婦人公論」「マリソル」「Men’s JOKER」「ぴあムック」などでアート情報を執筆。
アートムック、展覧会音声ガイドの執筆も多数。