6月8日(水)、国立新美術館にて、「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」がついにオープン!83点の出品作品のうち50点が日本初公開という本展は、パウエル館長をして「美術館史上、後にも先にもない」と
言わしめる前代未聞のフランス近代絵画展。「美術館の顔である常設コレクションからは一度に12点以上を貸し出してはいけない」という厳しい規則があるナショナル・ギャラリーで、史上最多の9点が来日中という、まさに奇跡の展覧会だ。
とはいえ、3月11日の東日本大震災が起きなければ、本展開催の「ありがたさ」を、ここまで深くかみしめることができたかどうか?私自身が疑問である。
読者の方々もご存じのように、大震災以降、日本で予定されていた多くの展覧会が中止や、会期を含めた内容の変更を余儀なくされた。その理由はやはり原発問題で、放射線の影響を懸念した作品の貸出停止や、渡航制限によるアーティストや担当学芸員の来日不可、また作品管理に最も重要な空調のための電気の確保の問題など、各美術展の主催者がさまざまな対応を迫られた。
そんななか一貫して「展覧会開催」の方向で揺るがなかったのが、ワシントン・ナショナル・ギャラリーだ。震災直後に開催に向けたやりとりが普通に行われていたという肝の据わり具合にも驚くが、「6月の東京展の開催が難しそうなら、先に京都から開催すれば?」とまで提案されたというぐらいだから、先方は日本での展覧会をやめる気などさらさら無かったことになる。
当たり前に享受していた日常が当たり前でなくなることに、なんともいえない荒涼感を抱いていた時、予定されていた展覧会――しかも国家の重要文化財級の作品が続々出品されるビッグ・プロジェクト――の準備が、何事もなかったように、粛々と進んでいく様子を見聞きすることの安心感。これからこの展覧会をご覧になる方々も、まずは、この展覧会がつつがなくオープンしたことに、普段とは違った感銘を受けられるに違いない。
というわけでまずは会場の雰囲気を見ていこう。ナショナル・ギャラリーのシンボル「ロタンダ」を模した入口から会場に入っていくと、そこに広がっているのは、バルビゾン派のコローから、印象派の誕生を促したマネ、ドガ、バジールらの作品が並ぶ「印象派登場まで」の第1章だ。ここでは早くも本展の目玉中の目玉、マネの《鉄道》と対面することになるのだが、その前に展示されたシルクハット姿の紳士たちの黒い群像《オペラ座の仮面舞踏会》も、当代の風俗をあるがままに描いたマネらしい「モデルニテ(現代的)」な作品。このマネを慕い、後の印象派の画家たちと深く交流しながらも、普仏戦争に参戦し、29歳という若さで亡くなってしまったバジ ールの作品では、黒人女性を描いた《若い女性と牡丹》などが、観る者に強いインパクトを残すことだろう。
次の第2章「印象派」では、お馴染みの印象派作家の名品が続々と登場する。まず第2室の華は、なんといっても印象派のスーパースター、モネの《日傘の女性、モネ夫人と息子》や《ヴェトゥイユの画家の庭》。どちらもフランスの夏の風、大地の匂いを感じられる作品だ。次の部屋に並ぶルノワールの作品は、愛らしい《踊り子》や《アンリオ夫人》など、1870年代に描かれた感じのいい肖像画が素晴らしい。このルノワールの壁面の反対側には、エヴァ・ゴンザレスやモリゾ、カサットなど印象派の女性画家たちの作品が展示され
ている。モリゾにしては珍しく濃密に描かれた《姉妹》のさわやかな色調や、カサットの目の覚めるようなコバルトブルーが美しい《青いひじ掛け椅子の少女》にも目を奪われることだろう。
第3章「紙の上の印象派」では、印象派・ポスト印象派の画家たちの素描や水彩画、版画27点がズラリと並ぶ。ワシントン・ナショナル・ギャラリーでもめったに展示されない、貴重な作品を一望できるコーナーだ。
そして第4章は、セザンヌ、スーラ、ゴーギャン、ゴッホなど「ポスト印象派以降」の画家を紹介。セザンヌは《『レヴェヌマン』紙を読む画家の父》や《赤いチョッキの少年》など、各時代の代表作がどっしりと展示場の壁面を占めているが、個人的に惹かれたのは、水彩画のようにきらきらとした風景画2点。また亡くなる前年に描かれたゴッホの《自画像》は、本展のテーマ・ソングを歌うアンジェラ・アキさんが、ワシントン大学に在学中、寮の壁にその絵葉書を貼って元気をもらっていたという作品だ。
上記以外にも素晴らしい作品は多々あるので、こちらはぜひ会場に足を運んでご確認いただくとして、最後にひとつだけ言っておきたい。
それはここだけの話、「現地で見るより日本で見る方が、作品が良く見えるかも?」ということだ。まず本展の展示は、壁面の色や、「幅木(はばき)」という壁の下方の化粧材など、現地の展示場を彷彿とさせる演出がされており、その落ち着いた雰囲気を感じることができるようになっている。ただし、ナショナル・ギャラリーの印象派の展示室は、いくつもの部屋で仕切られていることもあって、若干閉塞感があるのは否めない。その点、部屋がゆったりと大きく天井が格段に高い国立新美術館は開放的だ。
ワシントン・ナショナル・ギャラリーの印象派・ポスト印象派の作品は、今まさに、国立新美術館の恵まれた環境の中で、より生き生きと、その輝きを放っているのである。
アート・ライター。現在「婦人公論」「マリソル」「Men’s JOKER」などでアート情報を執筆。
アートムック、展覧会音声ガイドの執筆も多数。