さて、「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」が始まって、すでに2週間がたとうとしているが、読者の方々は、もう足を運んでいただけただろうか?
展覧会オープンをもって、このコラムも後半戦に突入。これからは、具体的な出品作品や作家について書いていこう。というわけで、今回のテーマは、展覧会場の第一室に見る、印象派の青春時代である。
マネの《鉄道》を中心に、本格的な戸外制作を始めたバルビゾン派や、風刺画を描いていた10代のモネを画家の道に引きずりこんだブーダン、そして、ドガ、ファンタン=ラトゥール、バジールなどの作品が並ぶ第一室。優れた作品を個々に楽しめる見どころ満点のこの展示場は、同時に「印象派誕生前夜」の雰囲気を堪能できる部屋にもなっている。
ご存じのようにマネは、1860年代、《鉄道》にも登場するヴィクトリーヌ・ムーランをモデルに描いた《草上の昼食》や《オランピア》(どちらもオルセー美術館蔵)の作品で、パリに一大スキャンダルを巻き起こした。その理由は、当代女性のヌードを、神話や聖書の物語で演出することなく、しかもルネサンス以来の陰影法を無視したように平板に描いたことなどがあげられる。しかし、この描き方の中にこそ「現代」があると考え、マネを慕った画家たちがいた。それが、ドガ、モネ、ルノワール、といった、後の「印象派」の面々だ。
彼らは、現在のパリ17区に位置するバティニョール街の「カフェ・ゲルボワ」でマネを囲み、日本の浮世絵や、新しい芸術について議論を戦わせた。なぜ、バティニョール街かと、その地区にはマネのアトリエがあったからである(ちなみに、《鉄道》の舞台「サン・ラザール駅も、マネのアトリエのすぐ近く)。
カリスマ・マネと、彼を信奉する仲間たち。そんな彼らの集団肖像を、アンリ・ファンタン=ラトゥールは有名な集団肖像画《バティニョールのアトリエ》(オルセー美術館蔵)の中に描いている。
展覧会では、おいしそうな桃の静物画が出品されているこのファンタン=ラトゥールは、ルーブル美術館で模写をしている時にマネと出会い、以後、後の印象派のメンバーとも親しく付き合うようになった。しかし、マネと同様、印象派のメンバーには加わらず、アカデミックなサロンを舞台に活躍した。
この《バティニョールのアトリエ》の中でファンタン=ラトゥールが描いたのは、マネ、モネ、ルノワール、バジール、その親友のメートル、マネの芸術を擁護したエミール・ゾラなど。
その中でも、ひときわ長身に描かれたバジールは、裕福な家庭の生まれで医者を目指していたにもかかわらず、画家の道を選び、マネを慕って自分もバティニョール街にアトリエを構えた。彼のアトリエには、一時経済的に苦しかったルノワールが同居し、モネも身を寄せたという。またバジールは、音楽も愛好していたことから、音楽に造詣の深いメートルとも親しく付き合った。本展には、バジールの親友《エドモン・メートル》も出品されているので、こちらもお見逃しなきように!
このバジールは、普仏戦争に自ら従軍し、1870年、29歳という若さで亡くなってしまう。記念すべき「第一回印象派展」が、キャプシーヌ大通りのナダールの写真館で行われるのは、その4年後。もしバジールが生きていたら、彼も印象派の画家として美術史に名前を刻んでいたのかもしれない。
アート・ライター。現在「婦人公論」「マリソル」「Men’s JOKER」などでアート情報を執筆。
アートムック、展覧会音声ガイドの執筆も多数。