スペシャル

《平治物語絵巻 三条殿夜討巻》(部分)
鎌倉時代、13世紀後半
Fenollosa-Weld Collection

スペシャル

ボストン美術館展を楽しむ7つの秘密
アートナビゲーター ナカムラクニオ

2020.02.13
第5話
岡倉天心という魔法使い
5-2
ボストン美術館の雑談から生まれた『茶の本』

岡倉天心の代表作と言えば、やはり『The Book of Tea(茶の本)』だ。1906年(明治39年)に、ボストン美術館で中国、日本美術部長を務めていた天心が、ニューヨークの出版社から刊行。日本の茶道を欧米に紹介し、西洋に語りかける東洋の美点をまとめた哲学書といった感じの薄くて濃い一册だ。
アメリカ人に、ユーモアをもって日本の良さ、東洋が西洋に対して誇り得るものを、茶道を中心に心ゆくまで語り尽くしている。全編に溢れている彼の東西文化に関する深い造詣は、何度読んでも心地よいリズムを感じる。まるで岡倉天心の演説を聴いているような気持ちになる。
この『The Book of Tea(茶の本)』が出版されるまでの経過についてはいろいろな説がある。一説には『茶の本』は、ボストンでの講演を記録したものだと言われている。しかし、一回の講演にしては長過ぎるし、話が複雑だ。おそらく、天心の二回目のボストン美術館勤務期間中、1905年に天心を囲む婦人の勉強会があって、この連続した講義をまとめたのが『茶の本』だったのではないかと思う。天心の招きに応じて彼女たちは、漆器や金工品を入れる袋を縫うために集まった。それ以後、何回かあった会のたびに、天心が『茶の本』を1章ずつ話しては、原稿をゴミ箱に捨てた。それを助手のマックリーンが拾って、ラファージという知人に見せた。さらに、そこにラファージが手を加えて出版することになったという話も残っている。美術館の記録にも、天心が日本美術や日本の理想についての話をしたり、婦人連の持って来る花を生けたりしたとある。

『The Book of Tea』には、こんな文章がある。「It has not the arrogance of wine, the self- consciousness of coffee, nor the simpering innocence of cocoa.(茶は、ワインのようにもったいぶったりしない。コーヒーのような自意識も、ココアのような間の抜けた幼稚さもない)」

岡倉天心は、ボストンで上流階級の人々に、『The Book of Tea(茶の本)』を紹介することで、茶を高級品として売り込むことに成功した。日本の文化大使として、茶道は世界各地に知られることとなり、輸出用の緑茶が世界に普及。茶は、高級品へと進化した。こういった岡倉天心の功績はあまり語られないが、美術品だけでなく、日本文化そのものを世界に広めたということこそが、彼の重要な仕事なのだろう。

天心が愛した能面

今回のボストン美術館展に出品される能面に「阿古父尉(あこぶじょう)」がある。15-16世紀頃、室町時代の作だ。良質な彫りが施されており、実際の人間の髪の毛が使用され、顔にはリアルな深いしわが刻まれている。高貴な役、神、老いた貴族などに用いられる能面で、岡倉天心が日本で購入したものだ。
頬がこぶのように、すこし垂れ下がっている感じからその名がついたと言われる。「阿古父尉=こぶを持った老人」という意味があるのだ。
能面は、単なる演劇用の仮面ではない。選ばれた材料の木の中には、精霊が潜んでいる。その能面をひとつひとつ、匠が祈るように削りだしたのが能面だ。だからこそ、面をつけて演者が舞台に立つ時、演者に乗り移った魔力が観る人々を幽玄の世界へ誘ってゆくのだ。

しかし、彼は、なぜこの「阿古父尉」を購入したのだろうか? それは、天心がこの「高貴な精神を持ち、老いた姿の能面」を自分の分身のように感じたからかもしれない。あるいは、自分を映す鏡として、見つめたからかもしれない。
いずれにしても魔法使いのように活躍した岡倉天心が大切にアメリカに持って行った能面「阿古父尉」は、きっと我々に何かを語りかけてくれるだろう。

 

 

ボストン美術館展を楽しむ7つの秘密、その5。

岡倉天心は「日本文化」のインフルエンサーだった。

 

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ナカムラクニオ/Kunio Nakamura

荻窪「6次元」店主/ライター。
著書は『金継ぎ手帖』『古美術手帖』『チャートで読み解く美術史入門』『魔法の文章講座』『世界の本屋さんめぐり』など多数。


 

参考文献:

『岡倉天心 ―アジア文化宣揚の先駆者―』(吉川弘文館)
『茶の本 (The Book of Tea)』(IBCパブリッシング)
『名品流転 ―ボストン美術館の「日本」』(NHK出版)

 

 

芸術×力 ボストン美術館展
会場:東京都美術館
会期: 2020年4月16日(木)〜7月5日(日)