明治時代、ボストン美術館で中国・日本美術部長だった岡倉天心。彼は、作品の購入を計画的に行なっていただけでなく、作品目録の作成に力をそそぎ、現在にも受け継がれている修復のシステムまで作り出していた。
まず天心は、日本から修復の専門家をボストンに呼んだ。漆工芸は、六角紫水。彼は、中尊寺金色堂や厳島神社社殿の修復などを手がけ、日本漆工芸界の草分けとして大きな功績を残した男だ。金工は、岡部覚弥。仏像彫刻は、新納忠之介。六角は約4年、岡部は約5年、新納は約1年ボストンに滞在しながら修復を続けた。現在、この美術館にある仏像彫刻は、とても美しい修復が施されていた。ほとんどはかつて新納が修理、修復したものだ。同時に作品の鑑定も行なった。
天心が購入した快慶作の「弥勒菩薩立像」もボストン美術館を代表する至宝のひとつだが、新納忠之介がこの像を修理した際、胎内から古い写経一巻が出てきたことで、作者が快慶であることが判明した。修復作業は、研究の一部でもあったのだ。
さらに天心は、日本画の絵巻、掛け物、屏風などの修復と表装のため、表具師をボストンに呼んだ。1907年には、英語を話せない田村基吉が、ひとりで船に乗ってカナダのバンクーバーを経由し、陸路でボストンにやってきた。
海を渡った日本の宝である漆工、金工、刀剣、仏像、絵画は、こうして整理され、甦った。モース、フェノロサ、ビゲローたちが集めた膨大な収集品は、天心によって「整理」され、修復師たちによって美しく「修復」され続けたのだ。
ちなみに、天心と親しかったイサベラ・スチュワート・ガードナー夫人(後にイザベラ・スチュワート・ガードナー美術館を設立)は、美術評論家のベレンソンに、このように書き送っている。
「岡倉は、美術館で忙しくしています。フェノロサの時代以来、ごちゃごちゃに集めてある日本の美術品の目録をつくっています。しかし、やってみると偽物につぐ偽物です。岡倉は、フェノロサを大いに軽べつしています」と冗談のようなことが書かれている。さぞかし作品の整理と修復は、大変な作業だったのだろう。しかし、これらの偉人たちのおかげで、今も美しい状態で作品が保存されているのだ。

岡倉天心は、日本においても「美術工芸品の修理、修復の先駆者」だと言える。天心の創設した日本美術院の奈良分室では、木彫りの仏像の修理を時代に先駆けて行っていた。ちなみに、日本で文化財の修理や修復が注目されるようになったのは昭和24年に法隆寺金堂壁画が焼けてからと言われている。
東京や奈良に文化財研究所が作られ、修理部門が設けられたのは昭和26年のこと。文化財保護という概念もこの焼損の前には、考える人は少なかったという。そう考えると、岡倉天心の修復の先駆者としての先見性は、尊敬に値する。
天心は、ボストン美術館に勤めた明治37年から大正2年の9年間に、中国、日本部門のコレクションにも力を注いだ。日本からは、伝仁徳天皇陵出土と伝えられた鏡、仏像も飛鳥時代の観音菩薩像から鎌倉期の大威徳明王像までボストンに持ち帰った。しかし、国宝級の美術品をアメリカに持ち出したことで、死後、非難を浴びることにもなった。彼は東洋と西洋がお互い、よりよく理解し合うべきである、と常に考えていた。そして、「アメリカこそ、東洋と西洋の中間に位置する場所であり、アジアのコレクションが展示されるならば、日本美術にとっても最も望ましい」と書き記している。ボストン美術館展とは、日本美術を愛した岡倉天心の魂に触れる機会でもあるのだ。
ボストン美術館展を楽しむ7つの秘密、その4。
ボストンでは日本で修行した専属のプロフェッショナルたちによって日々、修復が行われている。
ナカムラクニオ/Kunio Nakamura
荻窪「6次元」店主/ライター。
著書は『金継ぎ手帖』『古美術手帖』『チャートで読み解く美術史入門』『魔法の文章講座』『世界の本屋さんめぐり』など多数。 参考文献:
『岡倉天心 ―アジア文化宣揚の先駆者―』(吉川弘文館)
『名品流転 ―ボストン美術館の「日本」』(NHK出版)
芸術×力 ボストン美術館展
会場:東京都美術館
会期: 2020年4月16日(木)〜7月5日(日)