スペシャル

《平治物語絵巻 三条殿夜討巻》(部分)
鎌倉時代、13世紀後半
Fenollosa-Weld Collection

スペシャル

ボストン美術館展を楽しむ7つの秘密
アートナビゲーター ナカムラクニオ

2019.12.26
第2話
「美の百科事典」のつくりかた
2-2
開館目前でボストンが大火災に!?

それにしても、なぜボストン美術館は、50万点もの貴重な世界の宝を持っているのだろうか? 1870年に地元の有志によって設立された私立の美術館で、アメリカ独立100周年にあたる1876年に開館した。そのコレクションは、古代エジプトからはじまり、フランス印象派、日本美術、そして現代美術まで実に幅広い。意外なことに、美術館の運営は、市民の寄付、寄贈、入場料収入に支えられているという奇跡の「市民美術館」なのだ。名前のイメージや規模から考えると、当然、公共の美術館だと思っている方が多いはず。しかし、実は、国や州の財政援助はほとんど受けていない。

この壮大な美術館を作る際に、力となったのは「ボストンブラーミン(Boston brahmin)」と呼ばれる権力を持った知識人だった。ブラーミンとは、インドのカースト制度における最上位の階級「バラモン」にちなんでいる。彼らは「ボストンのバラモン」、つまりアメリカで最古の名門家族の末裔という意味。実は、ボストン美術館のはじまりは、アメリカでもっとも権威ある支配層、富裕階級、権力を持った人々が自主的に作った「芸術の館」だったのだ。
1840年代、アイルランドでジャガイモ飢饉が起こり、多くの移民がアメリカ大陸へ渡ってきた。ボストンの人口は爆発的に急増し、必要となったのは、電力だった。まず地元の水力会社は、ダムを作ろうとした。しかし、ニューヨークやフィラデルフィアなどでも美術館開設の動きが高まり、州議会が後押しした。その後、水力会社から土地を譲り受け、ボストンブラーミンを中心とする議会と市民の寄付で美術館を建てる準備が進められた。

ボストンの人口は爆発的に急増し、必要となったのは、電力だった。まず地元の水力会社は、ミルダム(水車堰)を計画した。しかし、ニューヨークやフィラデルフィアなどでも美術館開設の動きが高まり、州議会が後押しした。その後、水力会社から土地を譲り受け、ボストンブラーミンを中心とする議会と市民の寄付で美術館を建てる準備が進められた。

1874年の建物着工を目前に募金活動は順調に進み、1872年になるとボストン美術館理事会のもとでボストン市内で定期的に展覧会まで開催するほどに成長していた。そして、ゴールが見えかけてきた同年11月。信じられないことにボストンに大火災が起きてしまう。この火災により、街の施設や個人住宅の多くが被災し、破壊的な打撃を受けた。それでも社会貢献に関心を持つボストン市民は、負けずに復興の象徴として着々と準備を進め、ついに1876年の7月4日、自由と独立を宣言するかのように無事、美術館を開館させた。

案内してくれた学芸員の方が興味深いことを言っていた。「ボストン美術館は、完成しないでずっと作り続けているんです。だから入口の彫刻は、象徴として未完成なんです」と。よく見ると確かに入口の彫刻が作りかけだった。

「本当の美とは、心の中で未完成なものを完成させようとする者にのみ、発見されるべきものだ……」というようなことを岡倉天心が『茶の本』に書いていたのをぼんやり思い出しながら、いつまでもこの彫刻を眺めた。

 

美術の百科事典

美術館の中を歩いてみると、果てしなく続く美術品の多さに驚いた。丸3日間館内を歩き回ったが、まったく時間が足りない。じっくり見たら1週間あっても足りないだろう。しかも、建物が回廊式になっているため、しばしば迷子になってしまう。日本で同じ美術館を作ろうとしたら、きっと一方通行にするに違いない。ボストン美術館は、右左どちらの方向にも進める。気がつくと同じ場所を何度も歩いていたりする。もしかしたら意図的に美術史という名の巨大迷路を作っているのではないか? と思わせるほど、謎に満ちあふれた構造になっていた。そして、気がつくとミュージアムショップがあり、ゴールにたどり着く。まるで1万年分の美術史を立体的に体感したような感動を味わうことが出来るのだ。

ボストン美術館展監修者であり、日本美術部門のリーダーであるアン・ニシムラ・ モースさんは、こんなことを言っていた。「ここは、すべての時代、すべての国々について集めて分類していく《美術の百科事典》を目指している」と。また、ボストン美術館に所蔵されたことによって、数々の貴重な日本美術の名品が大地震や戦火を免れ、丁寧に修復され、受け継がれているという側面もある。ボストン美術館は、「世界の美術品を永久保存してくれる百科辞典的シェルター」と言った方が正しいのかもしれない。ぐるりと見て回ると、まるで世界を冒険して秘宝を手に入れるインディ・ジョーンズ博士になったような気持ちになる。 ちなみにアン・ニシムラ・ モースさんは、ご主人が大森貝塚を発見したモース博士の遠い親戚らしい。しかし、「モースさん」がボストン美術館の日本美術を仕切る重要な仕事をしているなんて、何か不思議な因縁を感じる。僕は、おもわず「大森貝塚の近くで生まれ育ったんです。モース博士大好きです!」と、挨拶してしまった。

 

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ナカムラクニオ/Kunio Nakamura

荻窪「6次元」店主/ライター。
著書は『金継ぎ手帖』『古美術手帖』『チャートで読み解く美術史入門』『魔法の文章講座』『世界の本屋さんめぐり』など多数。


 

参考文献:

『茶の本 (The Book of Tea)』(IBCパブリッシング)
『名品流転―ボストン美術館の「日本」』(NHK出版)

 

芸術×力 ボストン美術館展
会場:東京都美術館
会期: 2020年4月16日(木)〜7月5日(日)