合服の出番が、なくなって久しい。
猛暑をしのぐ夏服と、防寒優先の冬服の間で、一番おしゃれを楽しめる春と秋の装い、のはずが、10月に入っても真夏日あり、という状況では、袖だけ透けるオーガンジーのブラウスも、まとわりつく感じで、着ていられない。
それでいて、あっという間に、朝晩は暖房が欲しいくらいの寒さとなる。先週まで素足にサンダルだったのが、数日経ったら、薄手の靴下では心もとないと感じるような冷え込み。セーターを引っ張り出しながら、私の大好きな秋はどこに行ってしまったのだろう?と悲しくなる。
「いい時は、短い」と昔から言うけれど、ここ数年の春や秋は、あまりにも短すぎるのではないか。暑さから寒さへの移ろいのひととき、ほんのりと色づく紅葉や、春ならば朧月夜のように、輪郭のはっきりしない穏やかさ、曖昧さが、四季のある国に住む私たちの性格にも反映してきたように思うのだが、今や何だか切羽詰まった風潮が広がっている。〇でなければ×、「論破」とか「炎上」とか、他者否定の激しい言葉を目にすることも多くなり、世の中全体、“合服”の出番が少なくなっている、と感じる。
「曖昧」という語は辞書ではあまり褒められていないが、「ファジー」というカタカナ語になると、「柔軟性がある」という語釈も出てくる。
秋というファジーな季節を、短いながらも味わって、「あなたと話していると、のんびりするね」と言われる人に、私はなりたい。