Vol.5 ボストン美術館と日本
2016/01/26
ボストン美術館の日本美術コレクションは、質量ともに欧米随一を誇ります。たとえば、日本にあれば国宝級といわれる《平治物語絵巻》や尾形光琳の《松島図屏風》、そして約5万点にも及ぶ浮世絵美術など、作品総数はなんと10万点以上! これらコレクションの形成に重要な役割を果たしたのが、以下に挙げる3人のボストニアンでした。
ボストン美術館、ウェスト・ウイングにある日本美術の展示風景
先駆者は、19世紀末に来日した動物学者のエドワード・モース。大森貝塚の発見で知られる彼は、後にボストン美術館の所蔵となる約5000点もの陶磁器や民俗資料を日本で収集します。帰国後は、講演会などで日本の文化や芸術の魅力をボストンの人々に伝えました。
日本美術の展示室で最も特徴的な寺院の間は、法隆寺の建築を手本に造られた瞑想的な空間
このモースの紹介で来日したのがアーネスト・フェノロサです。彼は、廃仏毀釈で壊滅的な被害を受けた寺院や仏教美術の保護政策、弟子の岡倉天心と尽力した東京美術学校(現在の東京藝術大学)の設立、そして新時代の日本画家・狩野芳崖を見出したことなどでも有名です。帰国後はボストン美術館の初代日本美術部長に就任しますが、前述の《平治物語絵巻》や《松島図屏風》はフェノロサが寄託したもの。う~ん……、さすがお目が高い!
浮世絵も随時公開されています
そしてモースの講演に感動し、ちょっと観光するつもりがそのまま日本に7年も滞在してしまったボストニアンが、医師のウィリアム・ビゲローです。帰国後、ボストン美術館の理事になった彼は、日本滞在中に収集した約4万1千点(そのうち約3万4千点が浮世絵版画)もの日本美術を同館に寄贈しました。
ボストン美術館東洋美術部門創立の立役者が勢ぞろい。向かって左から、モース、天心、フェノロサ、ビゲロー
最後にボストン美術館とゆかりある日本人を紹介するとすれば、それは岡倉天心を置いて他にはいないでしょう。師・フェノロサの影響を受け、横山大観や菱田春草らと近代日本画の発展にまい進したことで知られる天心は、ボストン美術館東洋美術部門の責任者となり、1904(明治37)年以降は毎年1年の半分を、コレクションの整理と充実につとめました。現在ボストン美術館には、彼の功績をたたえた日本庭園「天心園」もあります。常に羽織袴で街を闊歩し、ウィットに富んだ英語を操った天心は、ボストニアンの間でも大変な人気があったようですよ。
老朽化が進んでいたため、日本テレビが支援して全面改修し、2015年4月にリニューアルオープンした日本庭園「天心園」
<プラスワン情報>
1876年、ボストンの中心地に開館したボストン美術館は、1909年、現在のハンティントン大通り沿いに規模を大きくして引っ越しました。その原因は、コレクション―とくに日本美術―の急激な増加にあったから。ちなみに今回登場したフェノロサとビゲローは、地元ハーバード大学出身です。
木谷節子 プロフィール
アートライター。現在「婦人公論」「SODA」「Bunkamura magazine」などでアート情報を執筆。
アートムックの執筆のほか、最近では美術講座の講師もつとめる。