- 6月1日
- 今夜の嵐にしやがれは…
★世界的ギタリスト・布袋寅泰が降臨!
BOØWY誕生秘話、そして妻・今井美樹に
仕掛けたドッキリなど私生活も語ります!
★大野丸 日本一周プロジェクト
青山テルマ&加藤諒と共に
鳴門のうずしおへ!
★隠れ家ARASHI
世界的ハープ奏者・松岡みやび登場!
知られざるハープの世界について紹介!
≪記念館≫
ゲストの宝物や思い出の品を見ながら、ゲストの半生をひもとく企画。
今夜のゲストは…日本が誇る世界的ギタリスト!布袋寅泰(進行:櫻井)
1982年、氷室京介らと伝説のロックバンド「BOØWY」でデビュー。
唯一無二のギターテクニックで世間を魅了!BOØWYの名曲の多くを手掛けた。
さらに、吉川晃司と結成したバンド「COMPLEX」では
「BE MY BABY」がオリコン1位を獲得!
1996年、アトランタオリンピック閉会式では、
全世界に向けてパフォーマンスを披露!
さらに、映画「キル・ビル」ではメインテーマを担当!
一躍その名を世界に轟かせ、この楽曲が収録されたアルバムは、
全米で大ヒットとなった。
今夜はそんな世界的ギタリスト・布袋寅泰の半生をひもといていきます!
■1962年 群馬県高崎市に生まれる 家がかなり裕福だった
→家が北欧風の洋館。
→貿易関係の仕事をしていた父。年の半分以上は海外での生活だった。
家にはライフルや葉巻があり、常にスリーピースのスーツを着ていたという。
ある日、家にあったアタッシェケースを開けてみると、中には現金が。
布袋「今思うと、スパイだったんじゃ…」
幼い頃からピアノやトランペットなど、音楽に慣れ親しんでいた布袋少年。
中学2年生の時、ギタリストとして運命の扉が開く。
■1975年 中学2年生の時 母の財布から1万円を抜き取りギターを買う
→当時、「ロックをやる」=「道を踏み外す」と考えられていた時代。
ギターをやることに両親ともに反対していた。
→母親からは、「音楽で食べていくのは大変だから趣味程度にしなさい」と
言われていたという。
ギターを手に入れ、ロックに生きることを決意した布袋少年。
しかし、当時の部活は…
■ロックに目覚めるが部活はテニス部&英語部
→テニス部にいた女性の先輩、横山さんに憧れていた布袋少年。
→横山さんがテニス部をやめ、英語部に入部すると
追っかけるように布袋少年も英語部に入部したという。
中学から高校へ進学し、16歳の時に学校の仲間とバンドを結成。
当時の見た目は、かなり派手だった。
■ライバルバンドのボーカルが氷室京介
→当時の氷室京介は、目が鋭く近寄りがたい印象だった。
→布袋が肺気胸で入院し、呼吸をなるべく安静にしてないといけないときに
エロ本を持って来てくれるなど、当時から仲は良かったという。
バンドを組み、充実した高校生活を送っていた布袋。しかし…
■高校3年生の3学期に高校を辞める
→キリスト教の学校に通っていた布袋。
→髪も長くロックで派手な風貌だったため、先生から「下級生がマネするから
考えてくれ」と言われ、「イエス様の方が長いじゃないですか」と反発していた。
→高校を中退したものの、今から2年前、世界で活躍する布袋の功績を称え、
学校から名誉卒業証書を授与された。
高校を辞めた布袋はプロのギタリストを目指して上京。
しかし、待っていたのはバイト三昧の日々。そこで思いがけない事件が…
■身長が高すぎて宇宙人に間違えられる
→当時、ピンクのモヒカンだった布袋。コンビニで買い物をしていたら、
子どもに「〇〇星人発見しました」と、言われてしまったという。
上京したものの、チャンスに巡りあえず、あてのない日々を送っていた布袋。
そんな時に「一緒にやろう」と声をかけてきたのが、
高校時代ライバルバンドのボーカルだった氷室京介だった。
■1979年 ライバルだった氷室京介に誘われ“暴威”を結成
→当時所属していた事務所のプロデューサーが、「群馬暴威」というバンド名を提案。
→「さすがに群馬暴威はちょっと…」と、抵抗。
→おどろおどろしい「暴威」を「BOØWY」に改め、伝説のバンドが誕生した。
デビューから4年後、ヒット曲を連発!
しかし、デビュー6年目まさかの出来事が…
■1987年 ライブ中に突然の解散宣言
→「最高のところまでみんなで力を合わせてやって花火のように散ろう」
という目標がデビュー当時からあった。
→チャートで1位になった時、「あ…燃え尽きる時が近づいてきたな」と、
感じたという。
解散後、ソロでも数々のヒット曲を生み出してきた布袋。
♪「スリル」「バンビーナ」や、プロデュース作品の今井美樹「PRIDE」は、
約162万枚を売り上げる大ヒットを記録!
最近では、ももいろクローバーZや嵐にも楽曲を提供。
作曲家としても数々の名曲を残してきた。
7年前、ロックの本場イギリスのロンドンへ移住。
妻・今井美樹とのロンドンでのエピソードを告白。
■妻・今井美樹へ「娘がタトゥーを入れたドッキリ」
→「娘がタトゥーをいれた」と妻に報告。
→しかし、娘の腕をみると、そこには「エイプリルフール」の文字が。
「アンタ達〜!!」と、大激怒されたという。
最後に、嵐の「復活LOVE」と布袋のギターが夢のコラボ!
(スタジオでギター生演奏を披露)
以上、「布袋寅泰記念館」でした!
≪進め!大野丸≫
大野丸で日本全国の海を巡り、操船の技術を磨くとともに、
各地の海の魅力をお届けしていくこの企画。
今回の目的地は…鳴門のうずしお!
鳴門のうずしおとは、淡路島と徳島県の間にある鳴門海峡で発生する
海水が渦を巻きながら流れる自然現象。
今日は大野丸でうずしおを目指す!
そして今回の旅のお供は…加藤諒&青山テルマ!
走ること30分。うずしおの前に、淡路島に立ち寄ってみることに。
■瀬戸内海最大の島・淡路島にある「うずの丘 大鳴門橋記念館」
→兵庫県はたまねぎの収穫量が全国第3位。
中でも淡路島産のたまねぎは「淡路島たまねぎ」としてブランド化され、
柔らかく、甘い味わいが高く評価されている。
→ここは、たまねぎに絡めてインスタ映えを狙いまくっている施設。
来館者に無料で貸し出しているたまねぎカツラを被り、はしゃぐ大野とテルマ。
加藤「頭デカいから全然入らない…」
うずしおが発生するまで少し時間があるので、
うずの丘大鳴門橋記念館名物・たまねぎキャッチャーに挑戦!
クレーンゲームの景品がたまねぎになっており、見事キャッチ出来れば
たまねぎ1.5㎏分と交換してもらえる。
まずは加藤が挑戦!すると…まさかの一発成功!
ではここで、淡路島のたまねぎで生たまねぎ早食い大会!
■「生たまねぎ早食い大会」
→淡路島では不定期で「生たまねぎ早食い大会」を開催。
→その大会で優勝し続けている達人が、
生たまねぎ早食いギネス世界記録保持者・山口悠介さん。
→1つ食べるのにかかる時間29秒56という記録を持つ。
使用するのは1つ210g以上のたまねぎ。
これを完食するまでのタイムを競う!結果…
山口さん46秒で完食!
生たまねぎの辛さに耐えられなくなり…大野&テルマ、ギブアップ。
そして、食べ続けること2分。加藤がなんとか完食!
十分遊んだところで、うずしお目指して再出航!すると…
テルマ「船長、あれなに?」
■淡路島名物・3年とらふぐの養殖場。
→通常2年で出荷するところを、3年かけてじっくり育てることで
大きさは通常の1.5倍になるという。
→うずしおの潮の流れの中で育てられるとらふぐは、
筋肉がよく育ち、歯ごたえや身の締まりは天然もの以上なんだとか。
ということで、とらふぐをいただくことに!
通常てっさは2日程寝かせた方がウマ味が増して美味しいと言われている。
そこで今回は寝かせたふぐの身も一緒に試食。
まずは取れたてのふぐの身。
大野「強烈〜!」
加藤「美味しい!歯ごたえがプリプリしてる!」
続いては、2日寝かせたふぐの身。
大野「うめぇな これも」
それではいよいよ今回の最大の目的、うずしおを目指す!
そしてついにその時が…
加藤・テルマ「おー!」
大野「怖え!」
■日本が誇る奇跡の自然現象・鳴門のうずしお
→最大直径20mにもなる世界最大級のうずしおを生み出しているのは、
鳴門海峡の独特な地形と潮の満ち引き。
→太平洋側が満潮になると、潮は徐々に瀬戸内海の播磨灘へと流れ込む。
→しかし地形が入り組んでいるため、播磨灘が満潮になる頃には太平洋側は干潮に。
→すると播磨灘にたまった海水は、狭い鳴門海峡を通って
一気に太平洋側へと流れ込むためうずしおが出来上がる。
それでは大野丸、うずしおに向かって出発!
うずの発生場所となっている潮と潮の間を果敢に進む!
テルマ「あー!!」
大きなうずの上を通過!大野必死に舵を切る!
この日のうずの流れは約6ノット。
これが春と秋の大潮の時期には10ノットを超える事も。
最大11ノットの大野丸では舵をとられてしまうほどの速さ。
そして…大野丸、無事鳴門海峡を通過!
テルマ「船長カッコ良かった!」
加藤 「うずしお、美しかった」
大野 「俺は(船を)まっすぐ進むように操縦してただけ。全く面白くなかった。
オンエアで(うずしお)見るわ。」
以上、うずしおクルージングでした。
≪今夜も開店!隠れ家ARASHI≫
今夜の主人は、相葉雅紀。
来店したのは…世界的ハープ奏者・松岡みやび。
1997年ジュネーヴ国際音楽コンクールで、世界トップ3に輝いた
日本ハープ界のパイオニア。
本日は、知られざるハープの世界を探る!
■ハープ1台の値段は…約1000万円
→弦は47本。真ん中はテニスのラケットに張ってあるものと同じ。
→ハープは狩人の弓を起源に持つとされる楽器。
→古代エジプト人からフランスのマリー・アントワネット王妃まで、
世界中の人々に愛されてきたという。
スタジオで世界トップ3の演奏を聴いた相葉。
相葉「すごい!泣きそうです。虫歯の治療してきたんですけど、治りました。」
続いては、知られざるハープの世界を紹介!
■教育費は1億円超え
→楽器も高いが、レッスン1回で約3万円と、とにかくお金がかかる。
→そのためお家は、お医者さん、経営者、音楽家などが多いという。
→音大でもハープをやっている人は学年に1~3人程度。
→ちなみに松岡は小学生時代、ミンクのコートを着て通学していた本物のセレブ。
しかし、その人生をハープに捧げるため多くの犠牲を強いられたという…
■33歳まで…携帯、恋愛、お酒も禁止
→1日8時間練習を20年続けてきた松岡。
→10年前に反抗期がきて、35歳で一人暮らしを開始。
→お金がなかったので、親に内緒でハープを1台売ったという。
続いては相葉、ハープに挑戦!
相葉「え、なにこれ?」
松岡「足のペダルが7つ付いていて、半音 音を変えられるんです。」
ほとんど知られていないが、ハープは両足を使って演奏する難易度の高い楽器。
松岡指導のもと、嵐の「A・RA・SHI」に挑戦!
練習すること1時間。果たしてその出来栄えは?
松岡「すごいと思います!パーフェクト!」
相葉「緊張感で力強くなっちゃった」
松岡「ぜひ、嵐のコンサートでハープを」
相葉「良いですね〜うちのMJに聞いてみます!」
以上、隠れ家ARASHIでした!
- 青山テルマ、加藤諒、布袋寅泰、松岡みやび(50音順)