- 6月15日
- 今夜の嵐にしやがれは…
★国民的ヒロイン・浅田真央が登場!
日本中が感動した
「ソチオリンピック 伝説の4分」について
語ります!
★隠れ家ARASHI
恋愛の神様・仲宗根泉が来店!
名曲誕生秘話や旦那サマとのなれ初めを
告白!
≪記念館≫
ゲストの宝物や思い出の品を見ながら、ゲストの半生をひもとく企画。
今夜のゲストは…浅田真央(進行:二宮)
「国民的ヒロイン!浅田真央記念館」
■1990年9月25日、愛知県名古屋市で生まれる
→3歳でバレエを開始。
→天真爛漫な女の子で、レッスンをせずにバーにぶら下がって遊んでいたため、
コーチに「動物園に行きなさい!」と、怒られていたという。
■初ハワイで大事件
→5歳くらいの頃、ホテルの部屋にある電話で適当な番号を押しては「ハロー」と言って、
電話を切って遊んでいた。すると、警察が突然部屋に。
→子供の声で電話があったと、複数の通報があったため、
子供が人質に囚われているのではないか、と警察がやって来たという。
■1995年 5歳の時、バレエ上達のためにフィギュアスケートを始める
→バレエの他にも、ダンスやピアノ、絵画など、様々な習い事をしていた真央だが、
小学校入学と同時にスケートにのめりこんでいく。
■2002年 12歳で3回転フリップ、3回転ループ、3回転トーループを決める
→小学6年生で出場した全日本選手権で、3回転を跳び日本中を驚かせた。
→回転する筋力をつけるため、
小学校2~3年生からベンチプレスやスクワットをしていたという。
→この時着用していた衣装は、浅田真央にとってのスター「伊藤みどり」から
譲り受けたもの。
その後も、2005年世界ジュニアフィギュア選手権優勝、2004年全日本選手権準優勝、
さらに15歳で出場したグランプリファイナルでは、史上最年少で優勝を果たした。
■2005年 15歳の時グランプリファイナルで優勝するも、
年齢制限のためトリノオリンピックに出場できず
→国際スケート連盟が定める年齢制限にわずか87日足りず、
15歳の世界女王は代表資格を得られなかった。
→しかし、小学性の頃にトリノオリンピックに出られないことを知っていたため、
真央本人は全く悔しい思いはなかったという。
■展示品No.1:「浜崎あゆみのサイン入りCD」
→中学1年生の時に行った人生初ライブが、浜崎あゆみ。
→そのライブに感銘を受け、同じ表現者として
「いつかこういうふうに滑れたらいいな」と感じたという。
→あまりに興奮してしまい、ライブの翌日に鼻血を出してしまったとか。
■2010年 19歳の時にバンクーバーオリンピック初出場。銀メダルを獲得
■展示品No.2:「バンクーバーオリンピックの銀メダル」
→オリンピックへの切符がかかった全日本選手権。しかし絶不調だったため、
オリンピックに出られるかどうかわからず、ソチオリンピックよりも緊張したとか。
→しかし、曲が鳴った瞬間スッと集中でき、結果優勝。
バンクーバーへの切符を見事、掴みとった。
→もう1つ、初オリンピックで感動したのが選手村。
飲み物の飲み放題やお菓子、バーガー、フライドポテトなどが食べ放題で、
さらにゲームセンターも備わっていたという。
■展示品No.3:「ソチオリンピックの衣装」
→最初に作ったものが重すぎて、本番までに2回作り直したという。
■2014年 ソチオリンピックでショートプログラムで16位
伝説と呼ばれるフリーの演技を披露し1年間の休養に入る
→浅田真央自身がスケート人生で最も印象に残る演技と語るソチのリンク。
→ベストな状態で臨んだオリンピックだったが、ショートプログラムで人生初の最下位に。
→切り替えることができず「試合に出たくない」と思うほど気持ちが沈んでしまい、
朝の練習でも全くジャンプが跳べなかったという。
オリンピック後、1年間の休養を宣言。
スキューバダイビングの免許を取るなど、好きなことをしていたという。
そして2017年、現役を引退。
引退から2年。最近、彼女にはハマっているものが…
■アイスホッケーにハマっている
→子供の頃からフィギュアスケートよりも、
アイスホッケーがやりたかったという真央。
→コンタクトスポーツにも関わらず、誰もぶつかってこないとか。
■2018年 浅田真央サンクスツアーをスタート
→今しか滑れないスケートを感謝の滑りとして届けようと、ショーを行なっている。
→休憩なしで80分、1人で10曲も滑っているという。
→子供のころに見た浜崎あゆみのライブと同じような感動を
フィギュアスケートでも表現できたらと、衣装・演出も全て担当している。
そんな真央ちゃんの熱い想いを聞いたメンバーは…
櫻井「サンクスが言いたいのはこっちだよ!」
以上、「浅田真央記念館」でした!
≪今夜も開店!隠れ家ARASHI≫
今夜の主人は、櫻井翔。
来店したのは…沖縄出身の人気バンド HY・仲宗根泉!
美しい歌声とストレートな歌詞が世の女性に支持され、
ついた呼び名が恋愛の神様!
まずは、知られざるプロフィールをひもといていく。
■2000年、地元・沖縄で同級生とHYを結成
→ドラムの名嘉と仲宗根はいとこ同士で、他のメンバーは高校の同級生。
■2003年、インディーズとして異例のミリオンセラーを達成
■2010、2012年にNHK紅白歌合戦に出場。
→紅白で嵐と共演した仲宗根。
もともとは櫻井がタイプだったが、初対面で冷たくツンケンした態度を取られ、
「この人は変わってしまったな」と、二宮に変更したという。
続いては「恋愛の神様のここがスゴイ!」。
■曲作りのために彼氏と別れる
→ファンから送られてくる手紙に「昔の人を忘れられません」という内容が
多かったため、これをテーマに曲作りを開始。
→しかし、実体験をもとに歌詞を書く仲宗根。当時、彼氏とラブラブだったため、
「これは書けない」「歌手として痛みを伝えたいのに、ただの文字上で伝えるのは
どうなのか」と、彼氏と別れることに。
→その時にできたのが、名曲「♪366日」。
→その彼氏とはその後ヨリを戻したが、1年半くらいで破局。
別れ際、なぜか「10万円貸してくれ」と言われ、手切れ金代わりに渡したという。
■旦那とのなれ初めが超ドラマチック
→初めての出会いは仲宗根20歳の時。旦那は15歳・中学生だった。
→きっかけは、教育実習生の親友が開いた食事会。
会った瞬間「旦那になる人だな」と運命的なものを感じたという。
→しかし、相手がまだ中学生だったため、
「20歳になってお互いまだ好きな気持ちがあったら一緒になりましょう」
と、別れたという。
→ある日、その彼から電話が。
お互い、名古屋にいることがわかり、久々に食事をすることに。
→そこで「今日、20歳の誕生日なんです。約束、覚えてますか?」と、告白される。
しかし当時、他の人と付き合っていたため、断ったという。
→1年後、たまたま沖縄の居酒屋でバッタリ再会。
その時には彼氏と別れていたため、すぐに同棲を開始したという。
→奇跡的な出会いが2度も起こった仲宗根。
そのエピソードをもとに作った曲が「♪Song for…」。
そんな仲宗根、今SNS上で話題なのが…
■「即興ソング」
→1分間で聴ける曲を作り、インスタにアップしている仲宗根。
ということで、仲宗根泉と櫻井翔が特別ユニット「泉翔」を結成!
仲宗根が考えたメロディーに櫻井が詞をつける。
考えること5分・・・
スタジオで即興ソング「やっぱり大好き」を披露!
仲宗根「♪やっぱり二宮だけが好き〜 櫻井翔は…ちょっと苦手かな」
櫻井 「♪Uhh…」
以上、「隠れ家ARASHI」でした!
- 浅田真央、仲宗根泉(HY)(50音順)